So-net無料ブログ作成

「かへらじと かねて思へば 梓弓---」(如意輪寺) [透明水彩画]

IMG (2).jpg
奈良の水彩画家の先生が作品展を開催していたので、奈良へ見学の旅をしました。作品展を見学した後、吉野へ向かう途中で如意輪寺を見かけたので立ち寄りました。ここは足利尊氏と抗争した後醍醐天皇が京都から逃れて南朝の根拠地としたところです。何時の日か京の都へ帰ることを願いましたが、帰ることなく崩御しました。南朝を支えた楠木正成亡き後、長子楠木正行が四条畷の戦いへ出陣する時に、如意輪寺の板戸に辞世の歌を刻みました。「かへらじと かねて思へば 梓弓 亡き人のいる 名をぞとどむる」と歌い、出陣し帰らぬ人となりました。資料館には辞世の歌を刻んだ戸板が保存されていました。
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 1

suisaidaisuki

この如意輪寺は南朝の祈願所とされた所で、後醍醐天皇の墓所もあります。ここは地元の吉野の人々によつて大切に維持されているようです。ここ吉野一帯はは数々の歴史の痕跡をのこした所で、少し遡ると源義経が鎌倉幕府の追求を逃れ隠れた所で、追求が激しくなりついに陸奥平泉の藤原氏を頼って旅立ちました。確か京の都の白拍子だつた静御前と別れたのもここだと記憶しています。楠木正成が足利幕府と戦った南河内の千早赤坂城のある金剛山も山々の彼方にあります。
by suisaidaisuki (2016-10-22 07:18) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。