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三溪園 [透明水彩画]

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明けましてお目でとう御座います。昨年末、絵のお友達からパステル画を教えて下さり、絵を描きながら年をとり閑を持て余すことも無かったのは、絵に親しんだお蔭でつくづく良かったですねと語り合いました。
水彩は勿論、新しく始めたバステル画も描きながら日々を楽しみたいと思います。
今年も宜しくお願い申し上げます。     

高野山金剛峰寺 [透明水彩画]

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奈良へ旅した時に、かねてから一度は訪ねてみたいと考えていた和歌山県の高野山へ行くことが出来ました。関ヶ原の戦いで西軍に味方したものの敗れた眞田昌幸・雪村父子が流された和歌山の九度山を通り抜け、左右に曲がりくねった山間道路を長時間走るとやつと高野山の大きな楼門が出現しました。その向こうが真言宗の聖地です。ここに空海が真言宗の本拠を構えたのです。金剛峰寺を訪ねました。

冨谷観音 [透明水彩画]

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栃木県との県境に冨谷観音小山寺がありますが、ここの三重塔は相当古いもので国指定重要文化財とされています。静寂な中に厳かに聳える塔を描きました。茨城県には古塔は三棟しかありませんが、これはその一つです。

県立フラワ-パ-クの光景 [透明水彩画]

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自宅近くの筑波山を北へ抜けるトンネルが出来たので、それ以前の急な山道を登り折りすることもなくなり楽に八郷地区へ行けるようになりました。そこには県南の住人が唯一県の施設を利用できるフラワ-パ-クが有ります。県庁所在地ばかり立派になり様々な文化芸術の施設があるのに比べて、県南の住民は余り県の恩恵を蒙る施設にお目にかかることはありません。そんなフラワ-パ-クに時々訪れて、絵のモチ-フを探します。
訪れたこの時期は花の端境期で、バラもシ-ズンオフと言う感じでた。(暫くこのブログから遠ざかっていたので、作品の更新方法が思い出せず難儀しました。あれこれ弄り回してやつと更新の方法を思い出し、今日投稿しました。)

湯野上温泉駅② [透明水彩画]

IMG (4).jpg会津祭りの帰途、大内宿の玄関駅である湯野上温泉駅に立ち寄りました。紅葉には早すぎましたが、降雪の冬に備えて除雪車が待機していました。

お人形です。 [透明水彩画]

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苦手なお人形さんを描いた一枚です。女性はお人形を描き慣れていますが、男はこんなモチ-フが大の苦手なのです。

カンナ咲く八郷 [透明水彩画]

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筑波山の北を走っていて気が付いたのは、各所に黄色いカンナが咲いていることでした。カンナは圧倒的に黄色のものが多く、松島トモ子さんの歌つた赤いカンナは殆ど見かけません。この当たりは東京の台所として農家が様々な野菜や果実を栽培しています。お蔭様で新鮮なものを味わうことが出来ます。

花の木農園 [透明水彩画]

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レストラン花の木の隣に「花の木農園」と言う看板があり、そこには紫の菖蒲が一面に咲いていました。
紫の花の向こうには残雪を被った白馬の尾根が見えます。春の信州の風景です。

「かへらじと かねて思へば 梓弓---」(如意輪寺) [透明水彩画]

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奈良の水彩画家の先生が作品展を開催していたので、奈良へ見学の旅をしました。作品展を見学した後、吉野へ向かう途中で如意輪寺を見かけたので立ち寄りました。ここは足利尊氏と抗争した後醍醐天皇が京都から逃れて南朝の根拠地としたところです。何時の日か京の都へ帰ることを願いましたが、帰ることなく崩御しました。南朝を支えた楠木正成亡き後、長子楠木正行が四条畷の戦いへ出陣する時に、如意輪寺の板戸に辞世の歌を刻みました。「かへらじと かねて思へば 梓弓 亡き人のいる 名をぞとどむる」と歌い、出陣し帰らぬ人となりました。資料館には辞世の歌を刻んだ戸板が保存されていました。

会津湯野上温泉駅 [透明水彩画]

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会津祭りの帰途、会津鉄道湯野上温泉駅に立ち寄り、トロッコ列車を見物しました。この鉄道は単線なので上下の列車が駅ですれ違うのですが、この絵の向かって右側がトロッコ列車です。大勢の観光客がカメラのシャッタ-を切っていました。この絵を掲載する頃は奥会津は紅葉の時期が来ていることと思われます。
以前この駅で出会ったネコの駅長さんは、今回は居ませんでした。